art のための table talk vol.13 レポート
- kawaruaidanobijyut
- 9月20日
- 読了時間: 11分
[7月のトピック]
第13回 アーツなハブとネットワークを妄想中
~南日本新聞・南点のつづき~
[日時]
2025年 8 月 16 日(土) 17:30−19:30
[会場]
天文館図書館 交流スペース
( 鹿児島市山下町 11番 1 号 センテラス天文館 4 階)
[参加メンバー]
かわるあいだの美術実行委員(木浦奈津子/画家、さめしまことえ/美術作家、原田真紀/インディペンデント・キュレーター、平川渚/美術作家)
黒岩美智子(ガーデンズシネマ支配人)
[ゲスト] 藤 浩志(美術家 秋田公立美術大学教授)

南日本新聞の「南点」に連載された(2025年1~6月)美術作家、藤浩志さん(鹿児島出身)のコラムが話題になった。新聞社から鹿児島の人たちへ向けた文化行政などについてとリクエストがあったらしく、コラムのタイトルは「文化政策としての公立美術大学」、「つくるところつくる人」「生きるための現代美術館」「違和感と芸術」「廃墟とOS」「環境と遺伝子」「青森の5つの美術館を巡る旅」「鹿児島での101の文化館構想」「深度と強度と飛距離」「創造性酵母菌」など。全国各地の現場での膨大な実践に裏打ちされた、地域における文化芸術がもたらす可能性や方法論が詰まっていた。と同時に、それが「いまの鹿児島で可能なのか?」という問いを受け取った気がしていた。そこで、南点のコラムをさらに深掘りしたく、秋田市や青森県の例を参照しながら、鹿児島でどんな文化芸術拠点の展開が可能なのか、候補地2か所(イイテラスとKCIC)を軸に「アーツなハブ」についてトークを開催することにした。
第一部は藤さんによるおよそ1時間のトーク。今回会場となった天文館図書館の交流スペースは大階段と向かい合わせになった開かれたスペース。図書館利用者だけでなく買い物客や観光客も行き交う鹿児島の新たな公共の場をいたく気に入ってくれた。
文化行政の実践-十和田と秋田公立美術大学
みなが見捨ててしまうような、あまり注目しないものに目が向くということで、十和田市現代美術館館長時代に(「余計なことをしなくていい」と担当課から忠告されたにもかかわらず)、廃墟ホテルや遊覧船、旧家など美術館の外でも展開する「十和田奥入瀬芸術祭」(2013)を開催したエピソードを紹介。秋田公立美術大学の例では、大学を作る際にリサーチにいくと、大学の組織は学生がいて様々な施設もあり、事務局は秋田市役所の優秀な方がいて、教授や助手もおり可能性を感じるが、実際にプログラムを動かしていくためのコーディネーターがいないことに気づく。青森には続々と美術館が誕生したことでコーディネーターがたくさん育っていったが、大学にも必要と思い、秋田公立美術大学の社会連携を担う学外法人として2018年NPO法人アーツセンターあきたを立ち上げている。「文化政策」と「大学」は一見繋がりはなさそうだが、秋田では美術大学ができたことで、何かを作りたい学生が集まり、若手作家がレジデンスをし、教授や助手が秋田市内に住んでいる状況が生み出されている。即ち町でクリエイティブな社会実験が展開できる要素があり、いまや文化創造の拠点と化している。企業が新しいものを作ったり、自治体が新たなことをやる時、新しい研究をしたり新商品を作らなければならないが、作る人がいなければ買う人も、食べる人もおらず、みんないなくなる。美術だけでなく様々な価値観も研究も、新しい概念を生み出すことで、「次の」周りの人が動いていく。さまざまな機関が連携して社会のなかで実装して実験を繰り返すことの必要性を説いた。文化政策は決まったものや美味しいものなど、すでに価値が定まったものを持って来ようとすると、それはもはや古くなっており、人々の興味関心は低い。コーディネートをするチームを、人材やネットワークの強みがある大学がつくることで、先のNPO法人アーツセンターあきたは指定管理を取り、管理業務を多数担っているという。
はみだし、まざる場所。秋田市文化創造館
そのNPO法人アーツセンターあきたが指定管理者として運営するのが「秋田市文化創造館」だ。元秋田県立美術館だった施設で、老朽化が問題になった時、市民から取り壊し反対の声が上がった。元城跡に位置するっ施設の周囲にはすでに大型劇場や図書館、県立美術館など文化施設が林立していたため、さらなる文化施設不要論もあった中、これまでにないミッションとビジョンを掲げて2021年開館。文化ホールや美術館は過去のものを披露する場。秋田市文化創造館は中学生や高校生、大学生などこれから活動を作る人たちを主なターゲットとし、その人たちが新しいことをやるための場所として活用し、既存の施設との差別化をはかった。ただしただの貸館ではなく、コーディネーターがそこにいることが重要だ。広い空間には壁もなく、いろんな活動がちょっとずつはみ出して混ざり、予期せる出会いを生み出すという。高校生が勉強している横で、いろんな活動をしている団体がミーティングし、演奏会が始まったり、食のイベントがあったり。混沌としていそうだが、密室ではありえない化学反応が起こりそうな予感がする。
秋田市は美術大学を拠点に、美術と地域社会をつなぐコーディネーターが活躍するNPOが生まれ、まだ形にならない何かを作ろうとする学生たちや市民たちの活動をサポートする文化創造館までできた。これまで美術館や芸術祭、自治体の文化行政等でつながる仕組みづくりや新たな活動を発生させてきた藤さんのプランが、遠く離れた秋田市で実現していたと感じた鹿児島市民は少なくないだろう。
アートはなんのため?
文化行政の話をする中で、一般の方の参加も多かったため、アートそのものの話にも。アートにはルールがなく常識や価値観をこれまでのものから越えなければならず、「ギリギリアウトをめざす」ことや、自身のルーツでもある奄美の大島紬を例にしながら、人は苦しみの中からどうにか生き延びようと、何かをそこで作ってきたのではないか。日常は苦しみや戦い、恨みもあり辛いものであるので、ここではないまだ見ぬ次の世界を見せるために芸術があり、祭祀儀礼や踊りや風習、テクノロジーがあるかもと仮説をたて、「文化芸術は〈豊かさのため〉ではなく〈生きるために必要〉」と論じていた。また現代美術はこれから何か新しいもの作ろうとしている人(ビジネスマン、デザイナー、コーディネーターなど)たちに一番響き、新しいアイデアやイメージ、まだ形になっていない種がいっぱいそこにあると可能性を示していた。
第二部 かわるあいだの美術実行委員会メンバーとのクロストーク
▶1993年に鹿児島で起こった大規模水害(8.6水害)で藤さんの実家を改築した建物が浸水し、新たに建て直すこととなった。11階建ての「イイテラス」はテナントや住居が入り、10F は貸ホールがある。建設当初から30年後にアートセンター化する構想(妄想?)があり、4階まで壁が抜ける構造になっているそうだ。いよいよ30年が経過したところで妄想の続きを聞いてみた。
90年代半ばにアートセンターや現代美術館が注目されてきて、鹿児島にもなにか若い人たちが活動できる拠点がいると思っていたが、そもそも当時はアートセンターとは何か、予算や運営、仕組みづくりが必要だがどうすればいいか分かっていなかったが、建物だけ建ってしまった。そして30年たった今、「アートセンターではないな」という答えにたどり着いた。現在のネットワーク社会ではハブの一つとして機能できるような、繋がっていく可能性のひとつになればいい。それは「場所」ではなく「仕組み」そのもの。場所を作るとしても、一つのNPOが運営するのではなく、いろんなNPO法人や団体が連携しながら運営するシステム。茨木市におにクルという施設ができており、そこが一つの理想だ。
▶かごしま文化情報センター(KCIC)の効果的な活用法は?
何をやっていくのかそこの仕掛けが重要だけれども、理想とするのは何してもいい空間やなんでもしていいことを許す人がいること。秋田市文化創造館で重要視していることは、レポートとレビューで何をやったのかしっかり残していくことだ。なぜかと言えば、目撃する人が少なすぎるからだ。誰が来て、何をやっているか分からないとよく言われるけれど、実はそこに未来にとってすごく大事なことや何かが起こっている。それを共有できる人とその必要性を感じる人が今そこにいなことが多いから蓄積する必要がある。時代を飛び越えて残っていくものがある。
▶鹿児島出身で県外の大学に行ったとき、他の学生と接してきた美術作品が違っていた。鹿児島では立派な額縁に入ったザ油絵しか見てこなかったのに、空間的な作品があったりして文化的な環境の差をすごく感じた。県外の美大を卒業した人が鹿児島に戻り活動するケースが少ないと感じる。どうしたらアクティブな活動がうまれてくるか。
興味、関心を注ぐ人がそこにいることが大切。これといったルールはないが、唯一言えることはそれを阻害したり、迫害したり、圧力をかけたりする人がいることによって絶対につぶされる。だから面白いと言い続けてくれる人、信頼できる人、かわるあいだの美術のようなチームがいるのもすごく重要。鹿児島の中に求めなくてもいいかもしれない。
▶霧島アートの森はいわゆる現代美術館ではなく、公園施設という位置づけだ。今年は年間1本しか企画展が開催されないし、美術館運営や美術研究の専門家ではない高校の美術の先生が配属されていたりして、通常の美術館とは異なる印象。鹿児島のアートを育てていくことに課題があるように思うが、市民レベルでどうしていけばいいのか。
行政の話になると、首長の問題だ。そこが変われば変わるというのはもちろんある。例えば青森は知事が変わったことで美術館が各地に建設されていき、ネットワークができている。都市計画事務所にいたからわかるが、基本計画をどう作り、実施計画をどうしていくのか、その流れの中でできているので、美術館をどう位置付けていくか。位置付けられていないとなかなかできない。秋田市は「文化芸術の薫る街にしよう」という基本計画になったが、市長に「市長、薫りじゃだめです。生きるために切実なものなので、薫りだけやっても意味がないです」と伝えた。また「文化芸術をいかした街づくり」も罠のひとつで、すでに価値化されたものが文化芸術だから現代美術がはいってこない。過去のものも伝統も大事だけれど、新しい革新をつくっていく「文化創造」の視点がないと、伝統も更新されていかない。早い時期にできた京都市立芸術大学や金沢美術工芸大学は、そこに学生がきているので、京都と金沢の伝統工芸は更新されている。行政が更新していくことの価値を理解しなければならない。行政の基本計画の中に「更新していく」という文言を入れ、「文化創造」というと理解されにくいので「知的財産」というワードを入れてもいい。
▶現代美術を見たり、語ったりする機会を鹿児島でつくるために「かわるあいだの美術実行委員会」をはじめた。きっかけは2021年、20年ぶりに鹿児島市立美術館が現代美術の企画展を開催することになったので、同時期に展覧会を開催して盛り上げようとしたのがはじまり。その20年前の現代美術展「アート!新スタイル」に参加したのが藤さんだった。その頃の鹿児島の美術界の状況は?
展覧会に参加したが、担当学芸員は相当圧力を受けたのではないか。南九州では都城市立美術館で10年に1回現代美術展を開催している。地道に目立たないようにやっているから潰されないのか。鹿児島は近代の呪いのようなものが強い。近代から脱しきれていないのでは。近代にもいいものもあり、大切にしなければいけないものもあるが、それと同等に大切なものがある。現代美術もそうであるし、いろんなものを見る機会や実験できる機会、対話できる機会、新たなものと出会う機会は行政がやらなければいけない責任だと思う。行政はそこに気づいていないかもしれない。美術の体験格差の話では、いま秋田公立美術大学は全国各地から学生が来ているが、やはり現代美術館や芸術祭がある瀬戸内周辺の高松、広島、岡山の学生が強い。新潟(越後妻有大地の芸術祭開催地)の山奥の子や青森の子も。生まれたときからアート作品は体験するものだと思っている。
鹿児島にも面白い人や可能性のある人は実は身の回りにいたりして、その活動を排除せずに面白いなと思って注目し、場を与えたり提供したりとか応援してあげると、いろんなものが育っていくのではないか。
当日は高校生や大学生、行政職員、市議会議員、県議会議員、ギャラリーオーナー、アートディレクター、学芸員、大学職員、藤家親戚など多様な方々50~60名ほど参加があった。限られた時間ではあったが、公共の開かれた場で鹿児島をめぐるアート状況について考えを巡らせ、市民に問いかける意義深い回になったと感じている。今回の話を機に、それぞれの中で芽生えた何かが動きだし、それを繋いで新たな状況を鹿児島に作っていくための方法を、かわるあいだの美術実行委員会として引き続き模索していきたい(文責 原田)。
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